事業を成長させるマーケティングの本質

寒の戻りがありますが、桜が咲き始めましたね。

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春。日本人が特に好きな季節な気がします。たった10日弱、木いっぱいに咲き誇る桜、儚くも美しい。

卒業があって、始まりがある。そんな区切りの季節です。

さて、そんな区切りの折なので、なんとなくこれまでのことをまとめてみたくなりました。

新卒で勤め始めてから16年、4社を経験する中で、業界誌編集者、経営コンサルタント、オンラインマーケティングマーケティングリサーチャー、WEBメディア責任者など、様々な角度から”マーケティング”に関わってきました。事業の成長に奮闘する方々に少しでもお役に立てるかなぁと思い、1度その「マーケティング」について整理すべく、(同業の諸先輩方に読まれると非常に恥ずかしい限りなのではあるのですが)未熟ながらマーケティングへの私なりの理解をまとめてみます。

事業の成長戦略や、それを発信するコミュニケーション活動に携わる方々にお役に立てればよいなと思います。

マーケティングの本質とはお客様との「約束」

マーケティングという言葉は、わかるようでよくわからない、特に日本人にとって理解が難しい、腹落ちしにくい概念のような気がします。

簡単にいうと、そのビジネスが売れるようにするための活動、特に狭義では売れるようにするための認知・説得のコミュニケーション活動のように使われている言葉かと思います。

その定義もいろいろ存在しますが、私が気に入っているのは「マーケティングとは顧客との約束」という考え方です。

私たちはお客様にこういった価値を提供します、と宣言し、その約束を果たすまでをマーケティングの本質と考えます。

約束とは、相手がいます。

約束は守らないと信用を失います。

どんな約束にするかは、合意の上、自分たちで決めることができます。

コミュニケーション以前に大切なこと

これだと、抽象的で少々わかりにくいので、具体例をあげると、たとえば、「コインをモチーフに、爽快感のあるハマるスマホ向けパズルゲームで、お客様の隙間時間を楽しいものにします」というのがパズ億というゲームの約束でした。

その約束を果たすために、短時間でコインが一気に消える爽快感があったり、簡単に解けないステージにハマりこんだり、世界を旅するモチーフで楽しみが変化していくように設計し、まだ使ったことのないお客様には、「世界を駆け巡って億万長者を目指せ!爽快パズルゲームパズ億」というコピーとゲーム画面を見せるスクリーンショット、広告でアプリのインストールをおすすめしていました。

「ママたちが困っていること、楽しめることなど、必要な情報を提供することで、日本中の乳幼児を抱えるママたちを笑顔にします」というのが、cutaというママ向けWEBメディアの約束でした。ですから、ママたちが傷つくような表現は絶対しない、子育ての楽しさと辛さの両方にきちんと寄り添う、妊娠・子育て中のママが検索するキーワードを網羅した記事を作る、実際に子育て中のママたちが記事を作る、といった私たちなりのルールがありました。

「最短2クリックでアマゾン以外のECサイトでお買い物できる決済手段を提供することで、お買い物を安心・簡単にします」がAmazon Payの約束です。

というように、マーケティングの本質とは、キャッチコピーや広告などの「どのように伝えるか、コミュニケーションするか」以前に「誰に何を提供するのか」を定義することなのだと思います。

成長期のマーケティングは、潜在ニーズを手探り

特に私は事業(商品・サービス)の立ち上げから成長過程におけるマーケティングを担当することが多かったため、お客様は誰で、その人たちはどこにいて、その人たちが何に困っていて、何があれば嬉しいんだろう、私たちはそれを本当に提供できているのか?を探るのが、マーケティング活動の最初で、かつ戦略でした。

成熟期にある事業ならば、お客様はその商品に慣れていて、ニーズは一定明らかになっていて、いかに安くニーズを満たすかがキーになるかと思います。競合とのシェア争い、価格競争、価格を下げるための商品戦略がメインとなってくると思われますが、なにぶんニーズが顕在化していない新規サービスを担当する中では、いつも手探りでした。ただし、お客様の本質的なニーズに対する代替のサービスは何かしら存在するものなので、それに類するものを研究したり、ということもよくありました。

お客様と自分自身の「買いたい」理由を理解する

ただ、どんなに難しいことを語ったとしても、大切なことはシンプルで「それ、本当に時間を使って、お金払って買いたい?」ということなのだと思います。

そのためには、まずは自分の商品・サービスを買いたいという欲望をきちんと見つめること。お金や時間を使ってそれを手に入れることに、何を期待しているのか。なぜそれを欲しいのか、他ではなく、それを選ぶのはなぜか。そういう心の襞をよく見極めること。

たとえば、コンビニで、「いろはす」の小さい水のペットボトルを購入したとします。私はなぜ、これを買ったのか。小さくてコンパクトでカバンに入れやすいから。捨てる時にぺちゃんこにしやすくて軽いから。緑色のデザインがなんとなく明るくてナチュラルな雰囲気だから。ペットボトル1本にもこれだけの理由があります。

先日『映画ドラえもん のび太の宝島』を息子と見に行きました。毎週のドラえもんを見る中で、息子がずっと楽しみにしていたから。日曜日に時間ができたから。映画ドラえもん史上最高のヒットになっていると聞いたから。星野源の歌が聞きたかったから。川村元気さんの脚本に期待したから。(ドラえもんの感想はまた別記事に)

そのプロセスを経て、対象のお客様の心に沿った商品を、届けることが、マーケティングなのだと思います。 

ただ、もちろん、年齢、性別、生き方、価値観等々によってほしいものに対するニーズは違うので、自分とは違う属性のお客様が、何を求め、何を考え、そして商品購入に辿りつくのかを、友達や家族など身近な人をサンプルケースとして理解することも大切なのだと思います。マーケターはとかく商品購入体験にプロ化しすぎてしまう部分もあるので、普通の毎日を過ごす普通のお客様が、「なんとなく」ものを買うときの理由を見定めることは大切だと思います。

お客様の気持ちを理解する方法

では、さらに具体的にどうやって自社の商品に対するお客様の気持ちを理解するのか?

当たり前ですが、まずは競合や類似商品も含めて、自分で使ってみること。自分が対象者じゃないなら、身近な人に使ってもらったり、使っている人の様子をうかがったり、よく話を聞いたりすること。購入者の意見をよく聞いてみること。CSに集まる購入者の声によく目を通すこと。マーケットサイズを知るためには、アンケート調査などで数値的にもニーズの広さを見てみること。深いニーズや不満を知るためには、ロイヤリティの高いユーザーと低いユーザー、未購入者など属性を分けつつ、感情や行動の理由に理解を深めるインタビューを実施すること。マーケティングアクションに対する数値を見てみること。売れ筋商品や特に目立った購買行動に注目すること。それから、他社の優れた商品やサービスを体験してみること。日々の数値のアップダウンとその理由を見極めること。

そういうことを、これまでコツコツ山ほどやってきました。人の気持ちを知るのって、面白いですよね。マーケティングの醍醐味の1つはここにあると思います。

大雪の3連休や選挙の日に、モバゲーの入会者が通常時の3倍にも伸びた時は、「モバゲーっていうのは隙間時間を埋めるためのサービスなんだな」って驚きました。

結婚式場のコンサルティングをしているときは、結婚式場への覆面調査、100件以上行きました。チャペルの見学時、模擬挙式を実施して、音楽を流し、感動のリハーサルを体験させる方法は、模擬なのに感動させられました。

 

「誰に何を提供するのか」がマーケティングの第一歩

私たちが価値を提供したい人は誰で、その人たちはどんなことを考えていて、だから何を提供することでお役に立ちたいのか、それを明確に定めること。それがマーケティングの第一歩です。その上でメッセージが決まり、マーケティングのアクションが始まります。

(具体的なメッセージやアクションについては次の記事に回します)

概念的な話ばかり、そしてよく考えると、なんとも当たり前の話ばかりになってしまいましたが、マーケティングの仕事をするときに私が大切にしていることです。

お客様にとっての価値を創出すること。そういうことをやりたいなと。

マーケティングとは、とても魅力的な仕事だとも思います。

 

すべての女性に読んでいただきたい『産む、産まない、産めない』

この間読んだ本がとってもよかったので、ご紹介します。

『産む、産まない、産めない』甘糟りり子・著 

妊娠・出産・女性の生き方について

私自身、cutaという妊娠・出産・子育てメディアに1年ほど強い思い入れを持って取り組んでいたこともあり、また働くママのロールモデル的な扱いでお話をすることが多かったこともあり、女性の働き方や子育て、妊活などには以前から強い思い入れがあり、関連書籍は色々読んでいましたが、この短編小説集はたまたま平積み小説の中からふと取り上げたもの。

タイトルがドンズバストレートなので、ちょっと抵抗もあったのですが、帯にいいことが書いてあったので、興味を惹かれました。

「出産が女の人生のすべてとは考えないようにしませんか?」

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異なる立場のすべての女性への応援歌

結論、とってもよかったです。説教臭くない。産んで働く女性、妊活に苦しむ女性、高校生でできちゃった女性など、年齢も立場も全く違う女性がそれぞれの自分の苦悩のなかから、最終的に希望を見出していく話です。

素晴らしいのは、どれか1つの生き方のパターン(働くママ、独身キャリア、専業主婦など)を持ち上げるわけではなく、どんな生き方であれ、自分で本当に悩んで考えた先にある結論を生きていけばいい、という大きなメッセージなのです。

女性活用にスポットが当たるけれど

女性活用がもてはやされ、働く女性にスポットが当たるこの時代ですが、実は働く女性にとっても「産め、育て、働けって言われても全部できないよ!」という苦しみもあり、また、「子どもを預けてまで働いて、私は母親失格なのでは」と不安に思い、逆に専業主婦の方にとっては「働かなきゃダメなの?」と引け目を感じたり、独身の女性は「いつ結婚するか、いつ産むか」を悩み、子どものいない既婚女性は「子どもがほしい」と奮闘し、本当に誰も彼もが悩んでしまう要素があるこの時代。

産むということに関わる立場の違いは、なぜこんなにも女性を悩ませるのでしょう。

そんな問いに対する大きな回答の1つとなるような気がしました。

私は私の立場からしかこの小説を語れないですが、ぜひたくさんの女性に読んでいただきたいです!

あと男性も!

『寿命のロウソク』:1人1人違う炎を持っている

今日はまったくノウハウのシェアではなく、ふと思い出した記憶から、つらつらと思ったことを書きました。

無数のろうそくが暗闇の中に立っている

先日ふと思い出した何かのアニメのシーン。小さいころに見た「まんが日本昔ばなし」か何かだったと思うんですが、暗闇の中にたくさんの大小の蝋燭(ろうそく)が並んでいます。1つ1つの蝋燭は、1人1人の命の炎で、もう消えそうな炎も、煌々と輝く炎もあります。

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長い蝋燭はまだまだ寿命があるということだし、短い蝋燭は実は寿命が近づいているということ。寿命(蝋燭の長さ)はまだあるのに、途中で倒されて消されてしまう炎もある。最後まで燃え尽くして、ふっと消える炎もある。それは1人1人の運命なんだと、そのお話の語り手が話しています。前後文脈はすっかり忘れてしまったのですが、このシーンだけが強烈に残っているのです。

それをふと思い出して、人は、胸の中に小さな炎を燃やしているんだろうななんて思いました。

それは人によって色も大きさも違う。そして、その炎が消えそうになるときもあるし、強く燃えているときもある。

その炎を燃やしていくことが、すなわち生きるということなんじゃないかなぁと最近思うんです。

自分を生きなければ意味がない

自分語りは好きではないのですが、1番紹介しやすい身近な例として私自身のことを挙げるとすれば、私、子どもも家族も愛していて、それより大事なことなんてないと思う一方で、同時に子どもと一緒にいる時間が少々減ってしまったとしても、自分の仕事をしたいという強い欲求があるんです。

極端に言うと「仕事を通じて、力を発揮しないと生きてる意味がない!」と思ってさえいて、その強い欲求って何なんだろうなって思う中で、私の中でこの蝋燭が燃えてるんだろうなーと思ったわけです。

(もちろん前提として、子どもは健康で夫も両親もみんな元気でいるから、仕事に力を注げるのだと思うのですが)

環境次第でこの蝋燭の火は大きくも小さくもなるのだと思うのですが、幸いなことに私は「自分の人生を自分らしく生きなさい」と両親に応援され、学生時代も「お前のやってることを応援する」と言ってくれる先生に恵まれ、社会人になってからも「やってみなよ」と仕事を与えてもらい、常に自分はどこまでできるんだろうと実験をするように、力を使う機会を与えてもらえたのだと思っています。

もういい大人だし子どももいるし、落ち着けよと思う一方で、「私はまだ何もできていない」という気持ちが強い。

それは、やっぱり、もう、持って生まれた何か、生命力みたいなものなのかなと。私の炎なんだと思います。

残りのろうそくの長さは

そしてまた、平均年齢からすると、そろそろ自分の蝋燭の長さも、生まれた時の半分ぐらいかしら、というところまでくると、なんというかこの蝋燭が刻々と溶けてなくなっていくような気分にもなるものです。

本当の自分の蝋燭の長さは誰にもわからないですが、それでも、いつかはかならずゼロになることは知っている。有限な人生を生きているわけです。

だからこそ、残りの蝋燭を無駄にはできない、自分の炎を完全に燃やさなければと思うのです。

あなたの炎は何色ですか?

さて、私のことを長々と話してしまいましたが、「仕事」という枠に限らず、人には生まれ持った目的があるのだろうと思います。生まれながらの欲求です。

それが何であるかは明白でわかりやすい場合もあるし、よくわからないけれど日々を過ごしている中で少しずつ見えてくる場合もあります。

私の友人の中には、私と同様に仕事をしなければ生きていけないような仕事中毒の友人もいるし、3人の子どもを生み育て温かい家庭を築く、愛の人もいます。

母は好奇心旺盛で多趣味な専業主婦で、父は日焼けしたアジアの働く親分肌です。私は両親の両方の成分を受け継ぎました。笑

また、オリンピックで金メダルを獲得する選手を見ていると、この人は「勝つんだ、結果を出すんだ」という強い欲求に突き動かされているのだろうと感じます。そういえば、羽生くんの自伝は『蒼い炎』っていうタイトルでしたね。

取り立ててわかりやすいものでなくても、明言できるものでなくても、人はこうありたいという炎を持っているのです。その自分の命の炎を見つめ、その炎を強く輝かせることで日々の充実感が変わります。

人が幸せに生きていくためには、意志の力も重要だけれども、基本的に環境が人に与える影響の方が大きいと思っています。だからといって、変えられない、という意味ではなくて、自分を活かすには環境選びがとても重要という意味です。

その炎を燃やしやすい環境を選び、力を発揮することは大切なことです。

自分の欲求や生命力が何に根ざしているのかを理解した上で、それを伸びやかに発揮できる環境を選べるようにありたいものです。 

アロマキャンドル作ってみました

そんなことを考えていたら、ムラムラと実際に蝋燭を作ってみたくなって、アロマキャンドル、作りました!↓

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100均のガラスに、大豆から作ったロウ(パラフィンのロウソクよりススが出にくいそうです)、それからアロマのエッセンシャルオイルを入れています。溶かして入れるだけ、超カンタン。

昔理科の授業で習いましたけど、蝋燭ってすごいですよね、自分の炎の熱で、ロウを溶かして、それを芯を伝って引き上げて炎を絶やさず燃やし続けるんですね。

燃やし続けますよ、私。死ぬまで。ごうごうと笑

皆さんも命の炎、燃やしてください!

 

※追記:気になって検索してみたら、すぐ見つかりました。おそるべし、インターネット時代。なんでも見つかる。

まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 寿命のロウソク

なんと1985年、私が6歳の時に放映されていました。覚えているものですね。

 

へとへとに疲れた時のセルフケア方法 その2

こんにちは。へとへとに疲れた時のセルフケア方法 その1は、思いのほか、長くなってしまいました↓ので、今日はその2。

mana-power.hatenablog.com

香りを身につける

香り関係でもう1つどうしてもお伝えしたいことが!アロマセラピストはしつこいです笑

 

いろいろある香りのセルフケア方法でも、本当に手軽なのでお試しいただきたいのが、精油(アロマオイルのこと)を数滴、専用のシールに垂らして、上着の裏側や下着の上など胸元に貼り付けておくことです。

シールはコレ↓ 

直径2.5cmぐらいのシールで、表が不織布でオイルが染み込み、裏にオイルが染み通らないようビニールになってます。

胸元にふんわり香るので、人に迷惑にもなりにくいですし、セルフケアの1つとして取り入れやすいです。

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(ちなみに1個だけ注意は、洗濯機に入れる前にはがしておくこと。忘れると洗濯機の内側にべたりと貼りついちゃって剥がれません汗)

どんな香りを使えばいいの?

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これはその1の続きでもありますが、どんな香りを使えばよいかな?と。

働く人でしゃきっとしたい時はペパーミントやローズマリー(脳を活性化させます)、ストレスが強くて少しリラックスさせたい方はラベンダーやオレンジ、人混みで風邪移ったらやだなという日はティートリー、女性らしく優しくなりたいときはゼラニウムローマンカモミール、ローズ(ローズ、ローマンカモミールは1滴で香りが強いので、ほんのちょっとにしてください!)、頭の中のもやもやを払って静かな気持ちになりたい時はフランキンセンスやサンダルウッド(古来から教会や瞑想とかにも使われたもの)、すっきり明るくリフレッシュしたいときはレモンやグレープフルーツ。あとアロマの協会が調べた男性人気1位はベルガモット(甘くない大人の柑橘の香り)と言われてます。

 ↓私が愛用するフランキンセンス(メーカー:フロリハナ)

ちなみに、アロマのオイルはメーカーによってモノによって、ほんっとーにクオリティが違います。ピンキリです。多くの精油は、蒸留法といって、化学の実験みたいに、葉っぱや花をぐつぐつ煮て、蒸気を集めてその中の油分だけを取り出してるんですが、たぶん「もう無理!」っていうぐらい、かすかすになるまで煮込んで取った精油は臭いんじゃないかと思うんですよね。あと、もちろん植物の育て方にもよると思います。

におってみて「クサっ!」ってやつは、クオリティが低いのだと思ってください。ご自分の鼻を疑わないように。また、アロマが悪いのでもないのです。

(今の自分に不必要な香りも、臭く感じたりします)

その点、フロリハナ(Florihana)、ライブラ(

アロマテラピーブランド LIBRA NATUTHERAPY | ライブラナチュテラピー)、ニールズヤードレメディーズ(【ニールズヤード レメディーズ】)あたりはハズレが少ないですのでおすすめ。

つい、香りの話が長くなりましたが、いい香りを選んで、手軽にご利用ください!

神社仏閣・パワースポットに行く

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私の場合、本当にへとへとに疲れたときにすることの1つに、気のいいところに行こう、があります。神社仏閣というのは大体気のいい場所にありまして、中でも巨木があるような神社は、悪くないです。あと湧き水があるようなところもよいです。

都内でおすすめは、高野山東京別院高野山真言宗総本山金剛峯寺 高野山東京別院)、大鳥神社大鳥神社ホームページ)、東京大神宮(東京大神宮)、愛宕神社

愛宕神社)、豊川稲荷東京別院豊川稲荷東京別院)、目黒不動尊

泰叡山護國院 瀧泉寺(通称:目黒不動尊) | 天台宗東京教区)あたりです。

もちろん明治神宮もよいのですが、人によってはキツく感じる場合もあるとか。昔少し話題になった清正井のあたりはよかったです。

関西だと大神神社(奈良)、橿原神宮(奈良)、伊勢神宮(三重)、四天王寺(大阪)、住吉大社(大阪)、下鴨神社(京都)、清水寺(京都)、高野山(和歌山)はみんな大好きです。

特定の宗教への肩入れはありませんが、静かに手を合わせて祈るというのは、心の整理によい気がします。

映画・ドラマ・小説・漫画にハマる

ザ・現実逃避です笑

疲れの原因から一旦離れて別世界へ〜。ちなみに、この別世界選びを間違えると、むしろ疲れるということも大いにありますので、ご注意ください。後味の悪いストーリー、アドレナリン出まくりで疲れるストーリーなどは、避けましょう笑

あと、最近小説で思うのは、同じ作家さんでも代表作となるような作品の前後に作られたものと、売れてから随分経ってから書いたものとは、やはり本の密度や熱量が随分違うなということ。

久しぶりに宮部みゆきさんの新作『悲嘆の門』を読んだら、何となく後味が悪く納得感も薄く、「あれ、こんな感じだっけ…」と、悔しくて初期の代表作の1つ『龍は眠る』を読んだら、密度も高く、最後までハラハラする名作で、「これはすごい」と思いました。

 

もちろん作家さんにもよると思いますが、好きな作家さんはその人の書くものの流れみたいのを感じると面白いですね。

ここ最近の小説だと、『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)『マチネの終わりに』(平野啓一郎)、『獣の奏者』『鹿の王』(どちらも上橋菜穂子)は、徹夜して読んじゃった名作です。おすすめ。

 

漫画は、つい最近完結した古典もの『とりかえ・ばや』(さいとうちほ)、スポ根百人一首ちはやふる』(末次由紀)、中国歴史マンガ『キングダム』、フィギュアスケート漫画『モーメント』(槇村さとる)、オスマントルコ時代の大河ロマン『夢の雫、黄金の鳥籠』あたりは、欠かさず読んでます。

 

スポ根ものはいつも泣きそうになります。体育会系人間笑

1つひとつ挙げているとキリがないので、そのあたりはまた今度。

疲れた時には1度現実を離れてみると、また落ち着いて現実と向き合えたりすると思います。

足湯・お灸など温めグッズいろいろ

季節を問わず、実は体調不良の原因には「冷え」が隠れていることが多いです。冬はもちろんですし、夏も冷房で下半身が冷える。

冷えは、体の中の多くの活動を媒介する酵素の活性を下げるので、良くないんじゃないかと思います。

食べたものを分解するのも酵素ですし、食べたものからエネルギーを取り出すのも酵素ですし。

お酒の分解も体が冷えてると遅くなるので、冷えてると悪酔いしやすい気がします。

食べたものの消化不良が起こると、分解しきれないものが体に溜まって余計に調子が悪くなる。

特に女性は、お腹に子宮もあって、細い血管が多いので血行が悪くなりやすい上に、足が冷えるとその冷えた血液がお腹をさらに冷やし、いいことないんだろうなと。

下半身が冷えてるときは、足首から下を足湯。肩首が冷えてゾクゾクするときは、手浴(肘から手先をお湯に入れてあたためる)や、肩にあずきのチカラ。これ、あずきクサイですけどいいです。

 

あと、お腹が冷えてるときは、腰にお灸が効きます。お腹の裏からじわーっと温める感じ。あと、胃腸には、足三里のツボにお灸するといいです。

↓せんねん灸

ヘルニアなど持病があるわけでもないのに、腰が痛いなーという人、整形外科的な理由ではなく、実は胃腸の冷えや疲れが溜まってる場合もあります。暴飲暴食したとか、体が冷えているとか身に覚えがある方は、1度腰を温めてみてください。

表情とアタマの中がすっきりする頭蓋骨矯正

鏡を見たときに、「なんか顔が変だな」って思う時ってありませんか。目と目が離れている気がしたり、頰がこけていたり、目や頰が下がっていたり、ほうれい線が気になったり、随分いつもよりブサイクだな、、というとき。実はこれ、気のせいではありません。実際顔のかたちって疲れ度によってすごく変わるんですよね。

頭蓋骨って、平たい骨がいくつもパズルのピースのようにつながってるんですが、どこか一部の筋肉が緊張していたりすると、骨がほんの少しだけ引っ張られるみたいなんです。そのほんの少しが、顔のかたちにも大きく影響するようです。

私の師匠が言うには、肩こり・首こりが一番の美容の敵。首のこりが、顔をブサイクするんです。

そのため、効率的に首の凝りを緩め、頭蓋骨の骨と骨の間の詰まりを緩めてあげると、頭と顔は本来あるべき場所に戻っていって、健康で若々しい顔立ちに戻るんですね。

で、習った技を早速母に試してみたのがコレ。

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↑左before 右After

45分弱のマッサージなんですけど、右の方が5歳若返ってませんか?頰と目の周りがすっきり。左右のバランスもよくなってる。

このマッサージ、頭の中のもやもやや考えすぎがすっきりしたり、顔立ちがすっきりしたり、目尻や頰がリフトアップします。

で、これ、人にやってもらうのは毎日できないから、セルフケア法にできないかなと色々試してみたセルフマッサージ。リフトアップには、顔をそのものをマッサージするよりも、頭のマッサージの方が効きます。

鏡を見て、なんだかひどいなというときは、シャンプーしながら頭のマッサージをするとよいですよ!

詳しいマッサージ法はまた今度。

どうにもならない時は、鍼灸院へ。

自分で何をやっても本当になんともならないときは、私はいつもの鍼灸院へ駆け込みます。これはもはやセルフケアではないんですが笑、助けを求めることも立派な手段ではあります。

鍼灸治療のよいところは、心と体をトータルに1つのものとして捉えるところ。腰が痛い→腰に鍼しましょう、肩凝った→肩に鍼しましょう、ではなくて、なぜその症状が出るに至ったのかをお腹や脈を診ながら、心と体の両面から探り、その真の原因となるところへの解決策を探してくれます。

ひどい頭痛は怒りから肝臓にきていることもあるし、くよくよ思い悩んで胃腸にきていることもあるし。私は鍼灸は特別に訓練を受けたことがないので、本当に理解しているわけではないですが、東洋の医学・哲学は本当に面白いものだといつも思います。

ただし、鍼灸師の腕は、本当にピンキリです!できれば人からの紹介で、ここはというところを見つけてください。

以上、私のへとへとに疲れた時のセルフケア法でした。

不調の症状は、心と体のSOSです。仕事に子育てに忙しい30、40代は、忙しさにかまけて、心と体の声を無視してしまうことが多いですが、なんか調子悪いなと感じることがあれば、大きな病気になる前にちょっとケアをしてみてください。

また日常の不調対策はもちろんですが、病気の兆候を感じることがあれば、まずはお医者様へ。

心と体を大切にして、楽しい毎日を過ごしてくださいね!

 

へとへとに疲れた時のセルフケア方法 その1

毎日生きているだけで、小さな疲れはたまっていきます。でもただ「疲れた!」といって駆け込んで、診断・処方してくれる医者はいませんよね。世の中、こんなにみんな疲れているのに、明らかな症状が出ない限り、西洋医学の医師はほとんど取り合ってくれません。いわゆる”未病”への対応は東洋医学代替療法が得意とする領域です。

そんな小さな不調、小さな疲れを、私がどんなふうに解決しているのかを、ご紹介します〜。

長くなっちゃったので、いくつかに分けて書きます。

予防のセルフケアと未病解決のセルフケア

私のセルフケア法をご紹介しようーと思って考えたところ、体がおかしくなる前に、なんとなく気分をあげるとか、調子を整えるためにやっていることと、明らかにここが不調な箇所が出てきておこなうことと2種類あることに気づきました。まずは予防のセルフケアから。

心にしみ込むお茶

古今東西、リラックスのために、また嗜好品として楽しまれてきたのが、お茶です。思い返すと、私の母親は食事の後には必ず暖かいお茶を淹れてくれたし、土日の朝には小さい頃からコーヒーのいい匂いがしていました。

シンガポールに住んでいたときには、蒸し暑い熱帯の国で必ず暑い烏龍茶がポットにいっぱい配られることを不思議に思ったものですが、大人になって東洋医学を学んだときに、理にかなったものなのだと知りました。(体を冷やさないために)

トルコにいったときには、ミントの葉をぎっしり詰め込んだ紅茶が小さいカップに出てきてとっても美味しかった。

イギリスの片田舎を歩き回った後に小さいバックパッカーズホステルで飲んだ、紅茶が死ぬほど美味しくてびっくりしました。ここはティーの国なんだと思いました。

台湾で味わった、緑の葉っぱ丸ままの凍頂烏龍茶が、ものすごいいい香りをするのも驚きでした。

スイッチを入れてくれるコーヒー

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で、様々あるお茶の中、ここ数年、私の生活に染みついているのが、お気に入りの豆を挽いて淹れる朝のコーヒー。コーヒーの豆にこだわったきっかけは書籍『シリコンバレー式最強の食事』でしたが、

自分が本当に好きなコーヒー豆はどれだろう??と、都内いろいろ探し回った結果、最終的にたどり着いたのは武蔵小山のコーヒー屋さん、アマメリア・エスプレッソのブレンド”マロン”(200g1080円、500g1860円 ※通販もあります)でした。色々探したのに、武蔵小山に住んでた妹の一押し店でした。

お気に入りを見つけるまでの紆余曲折は、また次回以降に譲るとして、セルフケアの観点では、コーヒーは私にとって自分にスイッチを入れるもの。

できれば毎朝、豆を挽いて、コーヒーを淹れて、余裕があればさらにそれをポットに淹れて持参しています。

美味しいコーヒーは、脳に効く気がします。今日も働くぞ!って笑

実際『シリコンバレー式~』にも、どのような成分が、なぜ、脳に効くのかということが書かれています。まあ、気の持ちようですが、自分にスイッチを入れるものを1つ持っているとよい気がします。

脳にダイレクトに届く、香り

さて、コーヒーの次に私に身近なのが、アロマグッズです。コーヒーに続き、“香り”というのは、光や音と違って、原始の脳(大脳辺縁系)に直接信号が送られるので、情動や本能にアプローチしやすいといわれています。疲れに対して、何かを判断したりせずに、ダイレクトに癒してくれるのだろうなと。


アロマを勉強し始めて1年半、飽きっぽい私が続けているのも、この香りの効果を何となく実感し続けているからではないかと思います。

簡単でおすすめの使い方は、まずはディフューザー。部屋に香らせる方法です。ズボラな私は水を替えるのが面倒なのとしょっちゅう倒してしまってそこら中水浸しにしてしまうので(水を入れて、精油を浮かべるタイプが多いです。)、原液を直接入れて香らせるものばかり使っています。

↓コレ

 

それと、先日無印に行ったら、水のいらないディフューザーが無印でも売っていました!しかもポータブル。旅先にも持っていける!

ポータブルアロマディフューザー | 無印良品ネットストア

肝心の香りの方ですが、どの香りを買ったらいいかわからない!という方で、「クサイのは苦手!」と香りに抵抗が強い人はまずは柑橘系を買えば間違いなし。

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オレンジスイート、ユズ、グレープフルーツ、レモン、ベルガモットあたりは、日本人には最も使いやすいものです。ベルガモット以外は食べたことありますよね。

中でも甘さがある香りが苦手な人は、レモン、ベルガモットがおすすめ。あと冬場のユズは万能です。懐かしい。

個人的に、私がよく使う上位は、フランキンセンスゼラニウムベルガモット、ユズ、ティートリー。ティートリー以外はストレスの強い方向けのリラックス系アロマです。花粉症などアレルギー気味の方、また風邪が流行りやすい季節は、予防にティートリー、ユーカリがおすすめです。

PC疲れ&肩こりにおすすめハンドマッサージ

ディフューザーに加え、私の場合は、自作のリップクリームとマッサージオイルを何となくいつも鞄に入れて持ち歩いています。

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肩こりってPC疲れやストレスで無意識に腕に力が入っている場合も多いので、肘から先をオイルを使ってハンドマッサージをするのはおすすめです。手からいい香りがして鼻に届くというのもありますし、手先の血行がよくなると、血がちゃんと肩から頭に流れていって、緊張をほぐしてくれます。

あと、単純に肌に触れる・触れられるのを感じるというのも、リラックスに繋がります。力を入れて腕をもみほぐす必要はないので、オイルの上を手を滑らせる感じ。5分でいいのでやってみてください。目の疲れ、肩こりなんかが少し和らいだりします。


私とばったり会った人でお疲れの方には、ハンドマッサージしますよ!笑

 

続きます。

 

 

“おかあさん”はたくさんある役割のうちの1つだよね。

あー、幸せだなぁと思う朝

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朝、子どもを保育園に連れて歩いているとき、ふと、「あー、幸せだなぁ」って思うことがあるんです。なんでだろなと思うと、“何もないとき”なんですね。


というのは、「ああーー!会議にギリギリ!!」みたいに焦っているわけでもなく、「ママ、だっこ!!」と息子がゴネているわけでもなく、雨が降って息子と自分の傘を必死に持っているわけでもなく、ただ、手をつないでポツポツ話しながら歩いている。
ついでに朝日がまぶしかったり、道端に花が咲いていたり、美しい落ち葉が見えたり、するとなおよし。

小さい手を握って、ただただ歩いている。心に不安も焦りもない。そういうことが幸せだなぁって。

何にもないだけで幸せを感じるっていうのは、それぐらい子連れの出勤中って必死だし、めちゃくちゃだし、イライラしているし、ってことなんですけど(笑)。

必死の働くママライフ

2歳ぐらいまでは、子どもは熱を出すことも多いし、いわゆるイヤイヤ期にもうともかく「保育園に行きたくない!!」とか「ごはん食べない!」「着替えない!」「歩かない!」みたいなことが多くて、保育園まで連れて行くのに、2、3時間かかることさえありました。

この必死な働くママライフをリアルに表現して、以前大いに共感を得た動画がコレ↓

サイボウズ ワークスタイルムービー「大丈夫」 - YouTube

 

子どもの体質・体力と性格によって、その濃さはいろいろだと思うんですが、人間の世界に生まれ落ちたばかりの新しい生き物である赤ん坊は、ここでの暮らしに慣れるまで色々と嫌なことも多いようで、毎日泣いたり怒ったりしています。

まあ、誰だって初めてのことはストレスがありますしね、人間1年生も、ママ1年生も大変ですよね。

働くママの葛藤

また別の話ですが、先日会社の同僚ママさんから、一旦仕事を辞めることにした、という話を聞きました。理由は、まだお子様が小さいこと。1歳半で復帰されたのですが、風邪をひいたりが本当に多くて、ちょっと今はやっていけないなと感じられたようです。
詳細を伺ったわけではないのですが、仕事が大好きな人だけに、その決断をするまでにどれだけ悩まれただろうと思うと胸が痛みます。だから、それがどんな決断であれ応援したいというのと、またいつか一緒にお仕事をしたいなと思いました。

私自身は、子どもの乳幼児期を、夫、夫と私の両親、保育園、病児保育のフローレンス、区の病後児保育などすべての助けをお借りしまくって、何とか乗り切りましたが、実際に活用できるサポートの種類と量は住んでいる場所や家族によって違うので、また子どもの性格・体質でも変わるので、家族の数だけ状況も違うんだと思います。

「あたしおかあさんだから」炎上に感じたこと

折しも、『あたしおかあさんだから』という歌の歌詞について炎上していますね。歌詞を書いたのぶみさんの『ママがおばけになっちゃった』という絵本は、絵本ながら泣かされてしまったぐらい好きだったので、今回のことはとても残念ですが、実際にこの歌詞を読むと、確かにそこはかとなくイラっとしてしまう人がいるのもわかる気もします。

一体何がこんなにイラっとさせるのかなぁ?とちょっと考えてみたのですが、やっぱり「あたしおかあさんだから」というフレーズが、母親という役割のステレオタイプな枠の中に、母親という役割を負う人を強制的に押し込めてしまう感じがするのが、イヤなのではないかと思いました。


おかあさんだからって、みんな同じ自己犠牲の献身的な母親とは限らないし、むしろあまりの自己犠牲は子どものためにもならない場合も多いし、母親本人が無自覚にそのステレオタイプに自分を押し込めたら、本当に苦しくなってしまうことも多い気がします。

人は、たくさんの役割を持ちます。1人の女性は、母親であり、妻であり、女性であり、働くプロであり、誰かの娘でもあり、誰かの友人でもあり。人はたくさんの人と関わって、その関係性の中での自分を生きます。

人は鏡のような平板なものではなくて、クリスタルのような多面体なんだと思うんです。どこから見るかで、見える姿は違う。

ある女性を、たった1つの「母親」という側面でのみ切り取ったら、それは苦しくなっちゃいますよ。でも、母親の役割を担う人は、母親として、子どもとしか生きていけない、なんてことないはずです。

 人間は生理的早産

もちろん、特に乳幼児を育てている時期には、母親は自分の大部分の時間と心を子どもに注ぐことが多いです。だって生まれたてですからね。人間は“生理的早産”といって、脳が大きいためあまり大きくなると産道を出られなくなってしまうため、他の動物よりもかなり早く、未熟な状態で生まれてきてしまいます。本当は2年ぐらいお腹の中にいたほうがいいんですよね。たぶん。でも結構早めに出てきちゃうので、かなり周りの手を必要とするわけです。

自由に自分を生きる

今回の炎上から私が感じたことは、人は多面的なものである、ということをもっと受け入れられたらいいのになーということでした。


お母さん、お父さん、というのは名前じゃないですよ。
みんな自分の名前を持ってます。そして自分自身の唯一の生き方を生きるのです。

人は、みんな自分の生き方を選んでいいんです。
唯一の役割に縛られる必要はありません。

複数の役割を使い分けていいんです。

いろんな考えの人がいるし、世代や時代の価値観というものがあるものですが、でも、大体過半数の人がこう思っている、っていうことと、自分が同じである必要なんてないんです。

自分の人生は、多数決で決めるものじゃないですよ。いろんなことを言う人が周りにいたとしても、「私の人生は私が選ぶ」それでいいんじゃないかなと思います。

そして、全員に自分全部を認められなくていいんです。できれば、自分が属する世界を複数持って、自分の部分部分で共感しあえる人があちこちにいればいいんじゃないかなと。

また、今ママの背中を見ている子どもも、またいつか母親・父親になります。そのときに思い出す自分の母親が「母親として、社会的に恥ずかしくないあるべき姿を生きる」姿だったら、またちょっとそれも苦しいんじゃないでしょうか。

 

親も子も、もっと自由になれたらいいなと思いました。

雨の日、見知らぬ男性に声をかけられました

雨の日の夜、傘なし親子

先日、雨の日に息子を保育園に迎えに行ったときのことです。

大した雨は降らない予報で、高を括って傘を持たずに出かけたら、帰りは雨。家にビニール傘が増えていくことが大嫌いで、「このぐらいの雨ならいけるだろ!」と息子にはダウンジャケットの帽子を被らせて、私はぱらつく雨もなんのその、2人で手を繋いで必死に家へ向かっていました。

突然、声を掛けられました

寒いなぁ!って言いながら歩いていたら、横から突然声を掛けられ、「これ、どうぞ!」と若い男性。ん?と思うと、大きなビニール傘をこちらに向けて差し出している。

傘を持っていないのは自業自得なので「いえいえいえ」と固辞するも、「いえ、お子さんいますし」とずいっとすすめられる傘。

躊躇していると「僕、家近いんで」と傘を押し付けて、パーっとその男の人は走っていってしまった。しかも、どんどん遠くへ走っていく。全然、おうち近くないし。。

あまりの、圧倒的な好意の塊に、私も息子もびっくり。

「お兄さん、傘くれたねぇ」「名前なんていうのかな」「どうやったら返せるかな?」と息子。息子も与えられた大きな好意はさすがによくわかっているようでした。

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東京で、善意の塊に出会った

今の日本で、こんな、見知らぬ人の圧倒的な善意の塊みたいなものに出会うものなんですね?!

外国にいくと、台湾とかトルコとか、ものすごく親日家の多い国で、フラフラしている観光客の私にやたらと優しくしてくれる人に出会うこともありますが、この東京の真ん中でー!

善意っていうのは、もうまっすぐと人の心に届き、心を溶かすものだなぁと思いました。

目の前で落とし物や忘れ物をした人に声をかけたり、妊婦さんやお年寄りに席を譲ったり、なんてことはまあ、ないことはないですが、こんなね、自分が濡れても見知らぬ人に好意を差し出すなんてこと、なかなかできないですね。

かっこよすぎです。

陰徳を積むべし

陰徳という言葉がありますが、いや、ほんと、人が気づかないような小さな徳を積むことって意味があるんだと思いました。徳を積めば自分にいいことがある、とかそういうことではなくて、傘を貸してくれたお兄さんは、私たち親子にこんな感動を与えたわけです。誰かをこんなにも喜ばせることってすごいじゃないですか。何か落ち込んでることがあるお母さんだったら泣いちゃいますよ。

世界は平和だな

善意は感動を生み、感動をした人はまた善意を行うようになる。それも心の奥から自然に発する気持ちで。これってなんかすごいですよね。こういうことが毎日起こっていたら、世界は平和になりますよ。

いつか同じ道でお兄さんを見つけたら、絶対お礼を言おうね、と息子と約束しました。

そして、いつか困っている親子がいたら、手助けできることがあればやりたいなと。

そんなみんなが幸せになる小さな親切、やってみませんか?